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夫婦同氏原則について(5)

4 選択的夫婦別氏制は否定されたのか?   1)フォーラムとしての最高裁? これまで夫婦同氏原則の合憲性および選択的夫婦別氏制導入の是非について、つぎのように解説する憲法の教科書もありました。 「また夫婦同姓の原則も、たしかにそれが多くの場合、事実として夫の姓をとることに傾くことは否定できないが、夫婦協議が認められている以上、違憲の制度とまではいえないであろう。しかし、女性の社会進出が目覚ましい今日、夫婦別姓制が望ましいとの意見も次第に有力になっており、それには十分理由があると思われるから、立法政策的には大いに考慮されてよい問題である。」(野中ほか『憲法Ⅰ(第 5 版)』(有斐閣、 2012 年) 303 頁) 最高裁判所も「選択的夫婦別氏制」の合理性を否定したわけではありませんから、上記学説と同様の立場に立ったという理解も可能です。選択的夫婦別氏制の合理性について、最高裁平成 27 年 12 月 16 日大法廷判決は以下のように説示しています。 12 .「夫婦同氏制を規制と捉えた上、これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば、夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ、上記 (1) の判断は、そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。」「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである。」(最大判平成 27 年 12 月 16 日民集 69 巻 8 号 2586 頁〔多数意見〕) さきにみた木内裁判官の意見は、「同氏に例外を許さないことに合理性はない」と説示していました。この点について判決文 12 では、「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」だとしています。 では、選択的夫婦別氏制の合理性を否定していないのに、このような制度を導入することの是非について最高裁判所が積極的に判断しないのは、どのような理由からでしょうか? この点、寺田逸郎裁判官は補足意見において以下のように説示しています。 「本件で上告人らが主張するのは、氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり、いわば法律関係

夫婦同氏原則について(4)

3 最高裁平成 27 年 12 月 16 日大法廷判決の問題点 (1)「家族の呼称」としての「氏」(名字)について 本判決は、民法 750 条の定める夫婦同氏原則が憲法 13 条および 24 条に反しないと結論付けるうえで、「氏」(名字)の意義を手がかりに理論構成をしました。「氏」(名字)に 「家族の呼称」としての意義があるとしていました。 しかし、裁判は人類学や社会学の論争の場ではありません。さらに A さんと B さんが夫婦であるかどうかは、社会的にも法的にも同氏であるかどうかによって決まるものではない筈です。少なくとも法的には、当事者間に「婚姻の合意」が存在するか、法律婚ならば婚姻届出をしたかが基準になる筈です。 親子関係も同じです。年齢が離れた A さんと B さんが同氏であるからといって、親子だとはいえません。親子関係が存在するかどうかは民法 772 条等の要件を備えているか、養子縁組なら親子関係を設定しようとする意思、養子縁組届出をしたかどうかによります。 したがって、「氏」(名字)が「個人の属する集団を想起させるもの」という最高裁判所の説示は、たんなる思い込みではないでしょうか? 最大判平成 27 年 12 月 16 日には、 5 名の裁判による少数意見が付されています。このうち木内道祥裁判官は、判決が説示している「氏」(名字)の意義について、つぎのように述べています。 「対外的な公示・識別とは、二人が同氏であることにより夫婦であることを社会的に示すこと、夫婦間に未成熟子が生まれた場合、夫婦と未成熟子が同氏であることにより、夫婦親子であることを社会的に示すことである。このような同氏の機能は存在するし、それは不合理というべきものではない。しかし、同氏であることは夫婦の証明にはならないし親子の証明にもならない。夫婦であること、親子であることを示すといっても、第三者がそうではないか、そうかもしれないと受け止める程度にすぎない。」(木内道祥裁判官の意見) (2)夫婦・親子の一体感および家族集団への帰属意識について この点、夫婦・親子の一体感や家族集団への帰属意識が強まるといった主張もみられます。最高裁判所もこの点に言及していました。 しかし、これらはべつに夫婦同氏の強制によって確

夫婦同氏原則について(3)

(2)夫婦同氏原則は憲法 24 条に反するか? 原告は、現行の夫婦同氏原則を定めた民法 750 条が、実質的に婚姻の自由を侵害すると主張しました。民法 750 条のもとでは婚姻するには、「氏」(名字)の変更を強制されることに従うか、婚姻(法律婚)を断念するかの選択しかできず、これは不合理だというワケです。 1)婚姻の自由について ところで、婚姻の自由は、憲法上、どの条文で保障されているのでしょうか? まず、憲法 24 条をみてください。 【憲法 24 条】〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕  第 1 項 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。  第 2 項 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 同条は、 1 項で婚姻の自由と夫婦が同等の権利を有するとし、 2 項で家族に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されるべきことを要求しています。法律を制定することができるのは、原則、国会だけですから(憲法 41 条参照)、憲法 24 条は国会に向けた規定ということになります。国会に向けて、家族に関する法制度設計の在り方について指針を示しているのです。 憲法 24 条 1 項には、「婚姻の自由」という文言はありません。けれども「両性の合意のみ」としている部分で「婚姻は、他の法的干渉を受けず、自由な男女の合意によって成立することを規定したもの」だと考えるワケです。 すると夫婦同氏原則を採用した場合、「氏」(名字)の変更をしたくなければ婚姻できないことになり、婚姻の自由を制限していることになります。その制限が合理的であれば許されますが、「同氏にしなければならない」ことに合理性はないのではないか?というのが原告の主張だったということです。 2)夫婦同氏原則は「婚姻の自由」を侵害するか? では夫婦同氏原則は、婚姻の自由を実質的に侵害するものといえるでしょうか?同氏にしなければならない合理性は、どの点にあるのでしょうか? 民法 750 条が定めている夫婦同氏

夫婦同氏原則について(2)

2.夫婦同氏原則の合憲性 (1)氏の変更を強制されない自由について 原告は、民法 750 条が憲法 13 条により保障されている氏名権ないし氏の変更を強制されない自由を侵害するものであると主張しました。 「あれ?憲法 13 条に氏名権とか氏の変更を強制されない権利なんてあったけ?」と思った人いませんか?まずは、憲法 13 条をみてみましょう。 【憲法 13 条】〔個人の尊重と公共の福祉〕 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 文言上は、個人の尊重とか生命・自由および幸福追求といったものが公共の福祉に反しないかぎり最大限の尊重を必要とする、としかありません。では、一体、どのように考えたら、氏名権ないし氏の変更を強制されない自由が憲法 13 条によって保障されるということになるのでしょうか? この点、憲法 13 条とくに幸福追求権の内容について、憲法の教科書ではつぎのような説明がされています。 「幸福追求権は、個別の基本権を包括する基本権であるが、その内容はあらゆる生活領域に関する行為の自由(一般的行為の自由)ではない。個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体を言う(人格的利益説)。また、個別の人権を保障する条項との関係は、一般法と特別法との関係にあると解されるので、個別の人権が妥当しない場合にかぎって一三条が適用される(補充的保障説)。」(芦部信喜[高橋和之補訂]『憲法第六版』(岩波書店、 2015 年) 120 頁)。 氏名権および氏の変更を強制されない自由は、憲法にリストアップされた基本的人権ではありません。しかし、それが個人の人格的生存に不可欠の権利であれば、憲法 13 条によって保障されるということになります。 では、氏名権および氏の変更を強制されない自由は、個人の人格的生存に不可欠な利益といえるのでしょうか? この点、かつて最高裁判所は、わたしたちの「氏名」について、つぎのように説示していました。 「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時にその個人からみれば、人が個人として尊重される

夫婦同氏原則について(1)

1  20 年以上も放置された     (1)夫婦同氏原則  「結婚する」ということに、どのようなイメージを持っていますか? 好きな人と一緒になる、結婚式を挙げる、同じ屋根の下で協力し、助け合いながら幸せな家庭を築く…。  日本では結婚して夫婦になると、同じ「氏」(名字)を名乗ることになります。この点について規定しているのが民法 750 条です。 【民法 750 条】(夫婦の氏) 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。 この規定が、結婚すると同じ「氏」(名字)になる根拠です。夫婦同氏原則と呼ばれています。同じ「氏」(名字)を名乗るといっても、必ず、夫婦のどちらか一方はそれまで名乗っていた「氏」(名字)を変更しなければなりません。しかも、どちらの「氏」(名字)を名乗るかは、婚姻届出をするまでに決めておく必要があります。婚姻届には「婚姻後の夫婦の氏」という項目があり、そこに「夫の氏」にするか「妻の氏」にするかチェックする欄が存在します。ここに記載が無い婚姻届は、受理されません(民法 740 条参照)。そして婚姻届が受理されなければ、法律上、婚姻したものとは扱われません。 このような取り扱いは、見方を変えれば「氏」(名字)の変更を強制するものです。しかも「氏」(名字)の変更をすることは、それまでの職業生活における社会生活上の信用や実績が中断することが考えられます。免許証、預金、不動産の登記、パスポートなどについて面倒な名義変更もしなければなりません。 (2)選択的夫婦別氏制 1985 年、日本は女性差別撤廃条約に批准しました。そこでは「氏」(名字)の選択について、男女の間に差別があってはならないことも内容とされています。また同条約 17 条は、国連人権理事会の下に女性差別撤廃委員会という機関を設置することとしています。締約国が条約をきちんと履行しているかどうかを監視するための機関です。しかしながら日本は女性差別撤廃委員会から、たびたび夫婦同氏の強制を是正するよう勧告されてきました。 そこで、 1996 年に法制審議会によって「選択的夫婦別氏制」を含む「民法の一部を改正する法律案要綱」が答申され、法務省はこれを公表しています。 「選択的夫婦別氏制」

冬休みも、そろそろ終わり

冬休みも、そろそろ終わりです。 ワタシの winterbreak は、以下。 年末は、断捨離祭。 貯めこんでいた資料の山と、とうとうお別れ。 「大して読んでもいないのに捨てるなんて、コピー代が勿体ない。」 なんて、言っていたらちっとも片付きません。 もう思い切って、指定ゴミ袋に投げ込みました。その数、 45 Lの袋で5つ。 けれども、あまり変わらないワタシの部屋。 毎年、大晦日に書く年賀状。 12 月 28 日に書いて出しました。 「今年のオレは、一味違うぜ!」…もうすぐ、今年も終わるけど。 最近あまり友人に会わないものだから、 「お元気ですか?」「本年もよろしくお願いいたします」 が、十数枚。 まさかの二年連続元旦マック。 去年は、初詣の帰り。今年は、ユニクロ初売りの帰り。 「もう来ないだろう」と踏んで出さなかった人からの年賀状、あわてて書いて出しました。 届いた年賀状 30 通。「お元気ですか?」「本年もよろしくお願いたします。」のコメント 20 通。 近場の神社で、とりあえずの初詣。 引いたおみくじ、なんと大吉。転居 さわぐな? 正月らしからぬイベントへ。「もうどく展2」。 水玉模様のエイのおめめが、ちょっとカワイイ。 …と、いうカンジ。

年末断捨離祭

年末断捨離祭も、いよいよグランドフィナーレです! 貯めこんでいた資料の山と、とうとうお別れ。 「大してして読まなかったので、コピー代が勿体ない。」 なんて言っていたら、全然片付きません。 もう、思い切って捨ててしまえ!とばかりに指定ゴミ袋に放り込みました。 指定ゴミ袋( 45 L)で計 4 つ。 けれど、あまり変わらない私の部屋。 そうそう、年賀状も書かなきゃ。 いつもは大晦日に出す年賀状。 今年のオレは、一味違うぜ!もうすぐ、今年は終わるけど。 宛名書きで、 3 枚失敗 … 。 最近、会っていない知人へのコメント、 「お元気ですか?」「いかがお過ごしですか?」 計 10 枚ほど。 さぁて、あとは年が明けるのを待つのみ。

ジビエと法律のはなし

 秋といえば、読書の秋、食欲の秋。秋に食べるものといったら、ジビエでしょう!  ジビエ( gibier )は、フランス語。狩猟で得た野生の鳥獣の食肉のことです。フランスなどでは貴族の伝統料理だったそう。  最近、日本でもじわじわとジビエが注目されています。岡本健太郎さんの漫画『山賊ダイアリー』のようにハンターの生活を描いたもののほか、「狩猟ガール」なんて言葉もみられるようになりました。  ワタシも最近、香嵐渓近郊のジビエ専門の食肉店で、シカ、イノシシの肉やフランクフルトを買ってきて、おいしくいただきました。イノシシはばら肉を牡丹汁に、シカは薄くスライスしたロース肉をサッと焼いて、焼き肉のタレをつけて…、これがウマいのなんのって。  ところで、野生鳥獣なんですが、法律上の取り扱いはどうなるのでしょうか?これが今回のテーマです。  1 野生の鳥獣は「無主物」  民法上、野生の鳥獣は「無主物」と扱われます。無主物というのは所有者のいない「物」のことです。ドイツのように、単純に「物」という扱いをしない国もありますが、日本では動物を「物」と扱います。  では、ハンターの方が狩猟により捕獲したシカ・イノシシは、誰の所有になるでしょうか?普通に考えて、ハンターの方に所有権があると思いますよね?その通り。民法 239 条をみてみましょう。 【民法 239 条】 (無主物の帰属) 第 1 項 所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。 第 2 項 所有者のない不動産は、国庫に帰属する。 動物は、「物」のうち「動産」にあたります。したがって、野生鳥獣については所有の意思をもって占有することによって所有権を取得します。無主物先占などとも呼ばれる所有権取得方法のひとつです。したがって野生のシカ・イノシシは、捕獲した人に所有権が帰属します。 2 野生鳥獣の捕獲等    けれども、ここで注意が必要です。というのも、野生の鳥獣の捕獲などに関しては「鳥獣保護管理法」(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)による規制もあるからです。  この法律の第 8 条は、つぎのように規定しています。 【鳥獣保護管理法 8 条】(鳥獣の捕獲等及び鳥類

衆議院選挙へ行こう。

  2017 年 10 月 22 日投開票の衆議院選挙が迫ってきました。台風も直撃しそうで、天候大荒れのなかの選挙になりそうです。  今回は、衆議院選挙とともにおこなわれる最高裁判所裁判官の国民審査について。  この制度、はっきり言って認知度が低く、いったい何のための制度かワケわかんない、という人も大勢いるようです。けれどもこの制度は、私たちの社会にとって、とても重要な制度なんです。   1 最高裁判所裁判官の国民審査ってどんな制度?  まず、憲法 79 条をみてみましょう。 【憲法 79 条】〔最高裁判所の構成及び裁判官任命の国民審査〕 第 1 項 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。 第 2 項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。 第 3 項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。 第 4 項 審査に関する事項は、法律でこれを定める。 第 5 項 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。 第 6 項 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。  第 2 項をみてください。最高裁判所裁判官の国民審査という制度は、法律レベルではなく憲法におかれた制度です。最高裁判所裁判官に任命された裁判官は、任命後はじめておこなわれる衆議院選挙のさいに国民に審査されると規定されていますね。この制度について、最高裁判所は以下のように考えているようです。 「最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度はその実質において所謂解職の制 度と見ることが出来る。それ故本来ならば罷免を可とする投票が有権者の総数の過 半数に達した場合に罷免されるものとしてもよかつたのである。それを憲法は投票 数の過半数とした処が他の解職の制度と異るけれどもそのため解職の制度でないも のとする趣旨と解することは出来ない。只罷免を可とする投票数との比較の標準を 投票