2017年10月22日投開票の衆議院選挙が迫ってきました。台風も直撃しそうで、天候大荒れのなかの選挙になりそうです。
今回は、衆議院選挙とともにおこなわれる最高裁判所裁判官の国民審査について。
この制度、はっきり言って認知度が低く、いったい何のための制度かワケわかんない、という人も大勢いるようです。けれどもこの制度は、私たちの社会にとって、とても重要な制度なんです。
1 最高裁判所裁判官の国民審査ってどんな制度?
まず、憲法79条をみてみましょう。
【憲法79条】〔最高裁判所の構成及び裁判官任命の国民審査〕
第1項 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
第2項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
第3項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
第4項 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
第5項 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
第6項 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
第2項をみてください。最高裁判所裁判官の国民審査という制度は、法律レベルではなく憲法におかれた制度です。最高裁判所裁判官に任命された裁判官は、任命後はじめておこなわれる衆議院選挙のさいに国民に審査されると規定されていますね。この制度について、最高裁判所は以下のように考えているようです。
「最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度はその実質において所謂解職の制
度と見ることが出来る。それ故本来ならば罷免を可とする投票が有権者の総数の過 半数に達した場合に罷免されるものとしてもよかつたのである。それを憲法は投票 数の過半数とした処が他の解職の制度と異るけれどもそのため解職の制度でないも
のとする趣旨と解することは出来ない。只罷免を可とする投票数との比較の標準を 投票の総数に採つただけのことであつて、根本の性質はどこ迄も解職の制度である。 このことは憲法第七九条三項の規定にあらわれている、同条第二項の字句だけを見
ると一見そうでない様にも見えるけれども、これを第三項の字句と照し会せて見る と、国民が罷免すべきか否かを決定する趣旨であつて、所論の様に任命そのものを 完成させるか否かを審査するものでないこと明瞭である。」(最判昭和27年2月20日民集6巻2号122頁)
つまり、国民審査によって最高裁判所裁判官を解職できる制度ということです。ここで憲法15条1項をみてみましょう。
【憲法15条】〔公務員の選定罷免権〕
第1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
公務員の選定・罷免は国民固有の権利とされています。このことから、最高裁判所裁判官の国民審査は、国民の「公務員選定罷免権」を具体化したものと考えられます。
2 なぜ、このような制度がおかれたのか?
憲法は、なぜこのような制度をおいたのでしょうか?
この制度は、裁判所に対し国民による民主的コントロールの手段としておかれたものです。最高裁判所裁判官の任命は、内閣がおこないます(憲法79条1項)。すると、内閣にとって都合の良い判決を出す裁判官が任命されてしまうおそれがあります。これにより、わたしたち国民にとって害のある判決が出るおそれもあります。
私たちは、自分の権利を実現したり、守ったり、回復したりする場合、最終的には裁判所の力を借りることになります。なぜ、裁判所の力を借りるのかというと、裁判所は私たちの権利を公正に実現してくれる筈の機関だからですよね。にもかかわらず、私たち国民にとって害のあるおそれのある裁判官が最高裁判所にいたらどうでしょう?私たちは、自分の権利を公正に確保できなくなります。ですから、そのような裁判官には司法機関から退場してもらわなければなりません。
憲法79条2項の国民審査の制度がない場合、そのような裁判官を司法機関から退場させる有効な方法はほとんどありません。これは、国会議員、国務大臣、内閣総理大臣の選出と比較してみるとよくわかります。国会議員、国務大臣、内閣総理大臣は、国民の側から世論や選挙をつうじて民主的なコントロールが可能だからです。
このように考えると、裁判所と国民との距離が思った以上に離れていることがわかります。実は、裁判所という国家機関は三権のなかでも最も民主主義的色彩の薄い国家機関なのです。国会、内閣は国民が選挙をつうじてコントロールすることができます。しかし裁判所に対しては国民がコントロールすることが困難なのです。ひとたびオカシな裁判官が任命されると、彼の下す判決によって長期間にわたり私たちの生活に悪い影響を与える可能性が高いということです。
そこで、憲法は裁判所に対する民主的コントロールをする手段として、国民審査の制度をおいたというワケです。
3 どのように国民審査するの?
最高裁判所裁判官の国民審査の具体的な内容については、「最高裁判所裁判官国民審査法」(以下、「国民審査法」と記す)という法律に規定されています。
憲法79条3項をみると、投票による審査を前提にしています。このことから、投票以外の方法を採用することは憲法違反になります。憲法79条3項を受けて、国民審査法6条は「審査は投票によりこれを行う」と規定しています。
投票の方式は、裁判官の氏名が印刷された投票用紙を用います。そして、罷免(解職)した方が良いと思った裁判官の氏名の上の欄に×印を付けます。ここで〇印や☆など、×印以外の印をつけると無効票になってしまいます。注意してください。
【最高裁判所裁判官の国民審査投票用紙のイメージ】
【国民審査法15条1項】(投票の方式)
第1項 審査人は、投票所において、罷免を可とする裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し、罷免を可としない裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで、これを投票箱に入れなければならない。
なお、無印の場合は、罷免しない(信任した)と扱われます。
そして、有効投票のうち×票が過半数を占めた裁判官は罷免されます。もっとも、この国民審査で罷免された裁判官は一人もいません。このため最高裁判所裁判官の国民審査制度は、憲法改正して廃止すべきなんていう人もいるようです。しかし、同制度の廃止は、さきに述べた制度の根拠から考えると、賛同すべきではないと考えます。国民が、裁判所を民主的にコントロールすることができなくなってしまうからです。
4 何も印をつけないで投票したら「罷免しない」(信任した)ことになる!?
ところで、無印のまま投票した場合、罷免しない(信任した)ものとカウントされるのは、何かヘンだと思った人いませんか?
実は、このような取り扱いは憲法違反ではないかということで、裁判で争われた事件がありました。それに対する最高裁の回答が、さきにみた最判昭和27年2月20日です。最高裁は、無印のままの投票を罷免しない(信任した)とカウントすることについて、以下のように説示しています。
「最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に法と書く)は右の趣旨に従つて出来たものであつて、憲法の趣旨に合し、少しも違憲の処はない。かくの如く解職の制度であるから、積極的に罷免を可とするものと、そうでないものとの二つに分かれるのであつて、前者が後者より多数であるか否かを知らんとするものである。論旨にいう様な罷免する方がいいか悪いかわからない者は、積極的に「罷免を可とするもの」に属しないこと勿論だから、そういう者の投票は前記後者の方に入るのが当然である。」(最判昭和27年2月20日民集6巻2号122頁)。
…この判決を前提にすると、投票所で有権者に「裁判官なんてよく知らないし、やめさせていいのか悪いのかわからないのだけど、どうすればいい?」と尋ねられたら、「白票で出してください」と回答すべきことになります。
この点、
「投票所によっては、わからなかったらそのまま入れてくださいとか、どうしてもやめさせたい人だけに×をつけてくださいなどと、かなり誘導的な発言をしてしまう自治体職員もいる。」
とコメントした女性ジャーナリストがいました。しかし、選挙管理事務をおこなう職員は、法律(判例)にしたがって説明しなければならないのですから、「かなり誘導的」という指摘は当たらないと考えます。投票用紙の記入方式に問題がある点は賛同できますけど…。
さて、第48回衆議院議員総選挙は、いよいよ明日です。ワタシも投票、行ってきマス。