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夫婦同氏原則について(2)


2.夫婦同氏原則の合憲性

(1)氏の変更を強制されない自由について

原告は、民法750条が憲法13条により保障されている氏名権ないし氏の変更を強制されない自由を侵害するものであると主張しました。

「あれ?憲法13条に氏名権とか氏の変更を強制されない権利なんてあったけ?」と思った人いませんか?まずは、憲法13条をみてみましょう。

【憲法13条】〔個人の尊重と公共の福祉〕
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

文言上は、個人の尊重とか生命・自由および幸福追求といったものが公共の福祉に反しないかぎり最大限の尊重を必要とする、としかありません。では、一体、どのように考えたら、氏名権ないし氏の変更を強制されない自由が憲法13条によって保障されるということになるのでしょうか?

この点、憲法13条とくに幸福追求権の内容について、憲法の教科書ではつぎのような説明がされています。

「幸福追求権は、個別の基本権を包括する基本権であるが、その内容はあらゆる生活領域に関する行為の自由(一般的行為の自由)ではない。個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体を言う(人格的利益説)。また、個別の人権を保障する条項との関係は、一般法と特別法との関係にあると解されるので、個別の人権が妥当しない場合にかぎって一三条が適用される(補充的保障説)。」(芦部信喜[高橋和之補訂]『憲法第六版』(岩波書店、2015年)120頁)。

氏名権および氏の変更を強制されない自由は、憲法にリストアップされた基本的人権ではありません。しかし、それが個人の人格的生存に不可欠の権利であれば、憲法13条によって保障されるということになります。

では、氏名権および氏の変更を強制されない自由は、個人の人格的生存に不可欠な利益といえるのでしょうか?

この点、かつて最高裁判所は、わたしたちの「氏名」について、つぎのように説示していました。

「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時にその個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきである」(最判昭和63216日民集42227頁)。

人格権というのは、個人の人格的価値にかかわる利益のことです。個人の人格的生存に不可欠な権利として憲法13条によって保障されます。そして判例は、わたしたちが持つ「氏名」は、社会的に自己を認識させることで個人として尊重される基礎であり、個人の人格の象徴であることから人格権の一内容になるとしています。

そうだとすれば氏名権および氏の変更を強制されない自由も、この人格権の内容に含まれていると考えることができそうです。国家によって強制的に個人の氏名が変更されるならば、個人を特定する機能が棄損され、個人として尊重される基礎を揺るがしかねない事態を招くからです。

ここで、民法750条がどのように規定していたか、婚姻届に夫の氏にするか妻の氏にするか記載が無い場合どのように扱われるか、を思い出してください。

民法750条は、婚姻のさい夫婦の一方が必ず「氏」(名字)を変更しなければならないとしていました。この変更を保留して婚姻届を提出しても、届出は受理されません。このため法律婚は成立しません。いいかえれば、民法750条は、婚姻のさい夫婦の一方に対し「氏」(名字)の変更を法律上強制しています。しかし、わたしたちの持つ「氏名」が前記最高裁判決によって示された人格権の内容であるとすれば、法律および戸籍実務の取り扱いには問題がありそうです。

「氏名を人格権として捉えるならば、本人の意思によらないで氏の変更を強制するのは、人格権の侵害として許されない」(二宮周平『家族法 第4版』(新世社、2013年)49頁。

最大判平成271216日の原告は、このような考え方に立って民法750条は憲法13条に反して違憲だと主張したワケです。

では、以上のような原告の主張について、最高裁判所はどのような説示をしたのでしょうか?

 1.「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである(最高裁昭和58年(オ)第1311号同63216日第三小法廷判決・民集42227頁参照)。」「 しかし、氏は、婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから、氏に関する上記人格権の内容も、憲法上一義的に捉えられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである。したがって、具体的な法制度を離れて、氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し、違憲であるか否かを論ずることは相当ではない。」
 2.「そこで、民法における氏に関する規定を通覧すると、人は、出生の際に、嫡出である子については父母の氏を、嫡出でない子については母の氏を称することによって氏を取得し(民法790条)、婚姻の際に、夫婦の一方は、他方の氏を称することによって氏が改められ(本件規定)、離婚や婚姻の取消しの際に、婚姻によって氏を改めた者は婚姻前の氏に復する(同法7671項、771条、749条)等と規定されている。また、養子は、縁組の際に、養親の氏を称することによって氏が改められ(同法810条)、離縁や縁組の取消しによって縁組前の氏に復する(同法8161項、8082項)等と規定されている。これらの規定は、氏の性質に関し、氏に、名と同様に個人の呼称としての意義があるものの、名とは切り離された存在として、夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより、社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから、このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。」
 3.「本件で問題となっているのは、婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が氏を改めるという場面であって、自らの意思に関わりなく氏を改めることが強制されるというものではない。 氏は、個人の呼称としての意義があり、名とあいまって社会的に個人を他人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば、自らの意思のみによって自由に定めたり、又は改めたりすることを認めることは本来の性質に沿わないものであり、一定の統一された基準に従って定められ、又は改められるとすることが不自然な取扱いとはいえないところ、上記のように、氏に、名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば、氏が、親子関係など一定の身分関係を反映し、婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは、その性質上予定されているといえる。」
 4.「以上のような現行の法制度の下における氏の性質等に鑑みると、婚姻の際に『氏の変更を強制されない自由』が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。本件規定は、憲法13条に違反するものではない」(最大判平成271216日民集6982586頁〔多数意見〕)。


最高裁判所は、前記最判昭和63216日の考え方を前提に「氏」(名字)には、個人の呼称としての意義に加え、家族の呼称としての意義もあわせて持っているとしています。「氏」(名字)の法的意義を拡大解釈したといえます。そして、「氏」(名字)に家族の呼称の意義があるなら、婚姻等の身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が「氏」(名字)を改めることは「氏」(名字)の性質上予定されたものだとしました。このことから、氏の変更を強制されない自由は、人格権の一内容であるとはいえず、民法750条は憲法13条に反しないと結論付けています。

たしかに民法の諸規定みると、身分関係の変動にあたって「氏」(名字)が変動する旨の規定が散見されます。子の出生、婚姻、婚姻の解消、養子縁組、縁組の解消、の場面において、氏(名字)の取得・変更に関する規律をおいています。これらの規定をふまえて「氏」(名字)も法的性質を考えるなら、「氏」(名字)に家族の呼称としての意義があり、その性質上、変更される場合があることが予定されているともいえます。

しかしこの論理は、たんに民法という「法律」が氏名の変更を強制されない自由を考慮していないというだけです。このことから、ただちに憲法13条の人格権の内容ではないとまではいえない筈です。

憲法98条が規定するように、憲法は国の最高法規です。そして憲法で保障された権利・利益は、憲法よりも下位に位置する「法律」によって具体的なかたちで実現されます。

そうすると法律で保障されていない権利・利益だからといって、憲法上も保障されないということにはなりません。憲法上は保障されているにもかかわらず法律のなかで保障されない、考慮されないというのは、法律の規定に不備があるというだけにすぎません。

「夫婦同氏を強制する制度の合憲性が争われているのに、制度を前提として権利の内容を決するという論理構造(中略)は、逆である。」(二宮周平「判批」私法判例リマークス532016年下)61頁。また、辻村みよこ『憲法と家族』(日本加除出版、2016年)276頁参照)

また、「家族の呼称」という考え方についても疑問があります。この点については、後述することにします。

次回は、民法750条が憲法24条の規定に反しないかという問題について、ひきつづき最大判平成271216日を検討したいと思います。

夫婦同氏原則について(3)

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