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夫婦同氏原則について(6)


2)憲法違反だが立法不作為に違法性はない?―岡部意見の分析・検討①

では、最高裁判所は、どのような判決をすべきだったのでしょうか?どのような判決をすれば、国会ひいては国民に対して力強いメッセージを発信することができたのでしょうか?

ここでは、岡部喜代子裁判官の意見に注目してみたいと思います。

岡部喜代子裁判官は、多数意見の結論に賛同しています。しかし民法750条が憲法に違反しないとする説示には同調できないとして、以下のような意見を付しています。

1.「本件規定は、夫婦が家から独立し各自が独立した法主体として協議してどちらの氏を称するかを決定するという形式的平等を規定した点に意義があり、昭和22年に制定された当時としては合理性のある規定であった。したがって、本件規定は、制定当時においては憲法24条に適合するものであったといえる。」
2.「ところが、本件規定の制定後に長期間が経過し、近年女性の社会進出は著しく進んでいる。婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく、婚姻後に稼働する女性も増加した。その職業も夫の助けを行う家内的な仕事にとどまらず、個人、会社、機関その他との間で独立した法主体として契約等をして稼働する、あるいは事業主体として経済活動を行うなど、社会と広く接触する活動に携わる機会も増加してきた。そうすると、婚姻前の氏から婚姻後の氏に変更することによって、当該個人が同一人であるという個人の識別、特定に困難を引き起こす事態が生じてきたのである。」
3.「そして、現実に96%を超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしているところからすると、近時大きなものとなってきた上記の個人識別機能に対する支障、自己喪失感などの負担は、ほぼ妻について生じているといえる。夫の氏を称することは夫婦となろうとする者双方の協議によるものであるが、96%もの多数が夫の氏を称することは、女性の社会的経済的な立場の弱さ、家庭生活における立場の弱さ、種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらすところであるといえるのであって、夫の氏を称することが妻の意思に基づくものであるとしても、その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのである。そうすると、その点の配慮をしないまま夫婦同氏に例外を設けないことは、多くの場合妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ、また、自己喪失感といった負担を負うこととなり、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない。」
4.「本件規定は、婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものである。しかし、婚姻は、戸籍法の定めるところにより、これを届け出ることによってその効力を生ずるとされ(民法7391項)、夫婦が称する氏は婚姻届の必要的記載事項である(戸籍法741号)。したがって、現時点においては、夫婦が称する氏を選択しなければならないことは、婚姻成立に不合理な要件を課したものとして婚姻の自由を制約するものである。」
5.「多数意見は、氏を改めることによって生ずる上記の不利益は婚姻前の氏の通称使用が広まることによって一定程度は緩和され得るとする。しかし、通称は便宜的なもので、使用の許否、許される範囲等が定まっているわけではなく、現在のところ公的な文書には使用できない場合があるという欠陥がある上、通称名と戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになる。そもそも通称使用は婚姻によって変動した氏では当該個人の同一性の識別に支障があることを示す証左なのである。既に婚姻をためらう事態が生じている現在において、上記の不利益が一定程度緩和されているからといって夫婦が別の氏を称することを全く認めないことに合理性が認められるものではない。」
6.「以上のとおりであるから、本件規定は、昭和22年の民法改正後、社会の変化とともにその合理性は徐々に揺らぎ、少なくとも現時点においては、夫婦が別の氏を称することを認めないものである点において、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超える状態に至っており、憲法24条に違反するものといわざるを得ない。」
7.「上記のとおり、本件規定は、少なくとも現時点においては憲法24条に違反するものである。もっとも、これまで当裁判所や下級審において本件規定が憲法24条に適合しない旨の判断がされたこともうかがわれない。」
8.「婚姻及び家族に関する事項については、その具体的な制度の構築が第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねられる事柄であることに照らせば、本件規定について違憲の問題が生ずるとの司法判断がされてこなかった状況の下において、本件規定が憲法24条に違反することが明白であるということは困難である。」
9.「以上によれば、本件規定は憲法24条に違反するものとなっているものの、これを国家賠償法1条1項の適用の観点からみた場合には、憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。」(以上、岡部喜代子裁判官の意見)

なお、この意見には桜井龍子裁判官、鬼丸かおる裁判官が同調しています。

当時、最高裁判所には岡部裁判官を含め3名の女性裁判官が在職していました(20182月現在も3名)。つまり女性裁判官は全員、上記の見解に立っていたことになります。

さて、この岡部意見によれば、民法750条は憲法24条に反するとしています。民法750条が制定されてから長期間が経過し、社会の変化とともにその合理性が失われていることがその根拠です。しかしながら、国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたとまではいえないとして、立法不作為の違法性を否定しました。このことから、上告を棄却すべきと説示しています。

①民法750条が、現時点では憲法24条に反する。
②国会が長期にわたって改廃等の立法措置を怠ったとまではいえず、立法不作為に違法性はない。

以上の二点が、最大判平成271216日(以下、多数意見と記す)とは異なる岡部意見の特徴といえるでしょう。以下、この二点に焦点をあてて検討してみましょう。

まず、民法750条の違憲性について。

岡部意見は、現時点において民法750条は憲法24条に反するとしています(岡部意見6)。他方、多数意見は民法750条の合憲性を肯定していました。

ここで、ひとつの疑問が生じます。それは、憲法適合性の点で両者の結論が分かれたのはなぜか?というものです。

この点、多数意見と岡部意見とでは用いた審査基準が異なるから、という推論も可能です。しかしながら民法750条の憲法適合性につき、岡部意見にはどのような判断枠組を用いるべきかについての説示がありません。

そうすると、岡部意見が多数意見と異なる判断枠組を用いたとまではいえないことになります。むしろ用いた憲法適合性の審査基準は、多数意見と同じであるとも考えられます。このことは、岡部意見6からも窺うことができます。

そこで、再度、多数意見が用いた憲法24条適合性の審査基準をみてみましょう。

6.「そして、憲法24条が、本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請、指針を明示していることからすると、その要請、指針は、単に、憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなく、かつ、両性の形式的な平等が保たれた内容の法律が制定されればそれで足りるというものではないのであって、憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと、両性の実質的な平等が保たれるように図ること、婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり、この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。」
7.「婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条、141項に違反しない場合に、更に憲法24条にも適合するものとして是認されるか否かは、当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し、当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。」(最大判平成271216日民集6982586頁〔多数意見〕)

多数意見は判決文7で「法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し、当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべき」という判断枠組を示していました。

そして上記判断枠組において考慮される法制度の趣旨や同制度の採用により生じる影響には、法制度の制定により生じる人格的利益への影響等も含まれるものと考えられます。

というのも多数意見は、憲法24条が「憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと、両性の実質的な平等が保たれるように図ること、婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるもの」(判決文6)としているからです。

ここで、同じ審査基準を採用しながら結論が異なったのは、上記判断枠組のなかで重視した事情が異なったからだという推論が可能です。つまり岡部意見が多数意見と異なる結論に至ったのは、「法制度の制定により生じる人格的利益への影響等」をどのように考慮したかが異なるからではないか?ということです。

岡部意見が重視したとみられる事情は、つぎの点にあります。それは社会情勢の変化です。具体的には民法750条制定後、女性の社会進出が著しく進んだことによって、民法750条が主に女性の個人識別機能・自己喪失感をもたらすことが判明したという点です(岡部意見2・3)。

多数意見によれば、そうした事情は通称使用が広まることによってある程度緩和されるなどとしていました。この点、岡部意見5によれば、通称使用は便宜的(すなわち次善の策)にすぎず、現在のところ公的な文書に使用できないこと、個人の同一性の識別に支障があることを挙げ「不利益が一定程度緩和されているからといって夫婦が別の氏を称することを全く認めないことに合理性が認められるものではない」と反論しています。

そうすると、多数意見と岡部意見とで憲法24条適合性につき結論が異なるに至った決め手は、通称使用の社会的機能をどのように理解したかという点にありそうです。

多数意見は岡部意見が重視した事情を、通称使用により一定程度緩和されるとして考慮しなかったわけです。しかし、岡部意見が説示したように通称使用は、別氏を望む夫婦にとってあくまで次善の策にすぎません。

見過ごしてはならないのは、通称使用は民法750条で確保できない利益を実現するために、一般社会がやむを得ず編み出した方法だということです。そもそも、法制度として存在するものではありません。

したがって、社会がやむを得ず編み出した手段の存在が法律の合理性を支える根拠にはなりません。法律の不備を正当化する理由にもなりません。とりわけ民法750条の夫婦同氏原則が抱える問題は、個人の尊厳、人格的利益の存立・実現にかかわるものですから、その不備はただちに是正されるべきものです。

この点に関し、さきに検討した寺田逸郎裁判官は、民主的過程論のような考え方から民法750条の不備について裁判所の積極的な判断になじまないとしていました。

しかしこの考え方には「夫婦同氏原則の不備による人格的利益の侵害が、民主的プロセスにおいて容易に回復可能か?」という視点が抜け落ちています。

実際、選択的夫婦別氏制を容認する人は多くとも、別氏でないと困るという夫婦は少数です。そうすると、これらの人達の利益を確保することは、通常、大変な困難を伴います。このことは再三指摘してきたように、1996年に「民法の一部を改正する法律案要綱」が示されて20年以上経過しても、別氏を望む夫婦の利益は実現されなかったことを思い出してみれば容易に想像できます。その間も、彼らの利益は損なわれ続けたともいえます。

寺田裁判官の民主的プロセスに委ねるという説示は、この問題に対して絶望的なやり方であると考えます。民主的プロセスに委ねるというだけでは、別氏を望む夫婦の利益実現・回復がきわめて困難だといわざるをえないからです。

ここで、「別氏でないと困るという人が少数ならいいじゃないか。日本は民主主義の国だ。民主主義は多数決で決まる。少数者が何と言おうと、多数決で決まるのだから駄目なものはダメだ」と考える人がいます。

しかし、この考え方は個人の尊厳という憲法上の基本的価値および民主主義の意味を大きく誤解しています。

憲法は24条でも、個人の尊厳に立脚した法律の制定を求めていました。これは少数か多数かということではなくて、文字通り一人ひとりを大切にしようということです。人はそれぞれ異なる存在であるからこそ、その存在だけで最高の価値があるということです。そのひとりひとりの利益を、家族に関する法制度上も最大限確保しなければならないと規定しているのが憲法24条なのです。

民主主義=多数決と考える人の中には、「多数決が社会全体の利益を実現する」と理解している人がいます。

しかし、これは錯覚です。多数決による決着は「多数の者」の利益を確保しますが、決してそれは「社会全体の利益」を実現するワケではありません。社会全体という視点で見るなら、「多数者」といえども「一部の者」にすぎないからです。多数決によって切り捨てられた少数派(ときには多数者とほぼ互角の数のこともある)の利益は実現されないことになります。

以上のことから、多数者の利益実現=「社会全体の利益実現」とはいえません。加えて多数決は最終かつ次善の決着方法のひとつにすぎないのであって、物事の是非を決める方法はほかにも存在します。

また民主主義=多数決と考えると、上記の個人の尊厳との関係で大きく矛盾します。個人の尊厳は、人はひとりひとり異なることを前提にして個人の存在自体に最高の価値を認めるという考え方です。人はすべて異なる存在なのであれば、色々な意見が存在してよい筈です。個人の尊厳を念頭におくならば、ひとりひとりの意見・考え方はできるかぎり尊重されるべきことになります。

いいかえれば、個人の尊厳を確保するために民主主義が存在するのです。個人の尊厳が目的、民主主義はその目的をより良く確保するための手段ということです。

そうすると少数意見だからという理由で、多数決で当然に切り捨てることはできません。個人の尊厳に適合するような決定プロセスが必要です。

そこで個々バラバラの意見をできるだけ尊重して集約していくために、最も適しているとして考えられたのが「審議・討論を尽くす」ことです。

そうだとすれば、民主主義=多数決とはいえません。「審議討論のプロセス」すなわち話し合い・議論のプロセスにあるというべきです。審議討論のプロセスのなかで、少数者の利益にも配慮した結論を探っていくことが民主主義の中核部分なのです。

したがって、別氏を望む夫婦が少数だからといって無視してよいことにはなりません。それよりも同氏を望む夫婦も別氏を望む夫婦も、双方が各自の幸福を追求できるような法制度を模索していくべきです。その方が、より多くの夫婦の幸福を達成できるからです(いわゆる最大多数の最大幸福)。

 次回は、立法不作為の違法に関して、ひきつづき岡部意見に焦点をあてて検討していきます。そのうえで、最高裁がどのような判決をすべきだったかについて考えてみましょう。

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