2)憲法違反だが立法不作為に違法性はない?―岡部意見の分析・検討②
つぎに、国会は長期にわたって改廃等の立法措置を怠ったとまではいえないとする点について。
これは、国家賠償法1条1項の適用に関するものです。すなわち、民法750条に関する国会の立法不作為は国家賠償法1条1項にいう「違法」と評価されるか?という問題です。
この点、岡部意見はこれまで裁判所において民法750条が違憲であると判断されてこなかった状況に注目したようです。そして、このような状況下では同条が憲法24条に反することが明白だったとはいえないといいます。したがって国会が長期にわたって改廃等の立法措置を怠ったとまではいえず、国会の立法不作為は違法と評価できないとしました。
ここで、国家賠償法1条1項を確認してみましょう。
【国家賠償法1条1項】
国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
「違法に」という要件があることがわかります。つまり岡部意見は原告の国家賠償請求について、この違法性の要件をみたしていないと考えたワケです。なお、多数意見は民法750条が合憲であるとしているため、国会の立法不作為については説示していません。
ここで問題となるのは、国会の立法不作為が国家賠償法1条1項にいう「違法」と評価されるのはどのような場合か?という点です。
この点、国会の立法不作為がどのような場合に国家賠償法上の違法評価を受けるかについて、参考にすべき最高裁判決があります。
最高裁は本判決と同じ日に、民法733条の合憲性についても判断していました。全く同じ裁判官達による判決ですから、その判断基準や理論構成には整合性がある筈です。
1.「国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ、国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり、立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして、上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって、仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても、そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。」
2.「もっとも、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁、最高裁平成13年(行ツ)第82号、第83号、同年(行ヒ)第76号、第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。」(最大判平成27年12月16日民集69巻8号2427頁。以下再婚禁止期間規定違憲判決と記す)
この再婚禁止期間違憲判決は、最判昭和60年11月21日および最大判平成17年9月14日を引用して国会の立法不作為が違法と評価される場合を定式化しています。
では、再婚禁止期間違憲判決に影響を与えた二つの最高裁判決とは、どのようなものだったのでしょうか?
まず、最判昭和60年11月21日(民集39巻7号1512頁)は、在外国民の投票を可能にするための立法措置を執らなかったことが国家賠償法1条1項の違法な立法不作為にあたるとして提訴された事案でした。
この点、同判決は、まず国会議員の立法行為は政治的なもので、その性質上法的規制の対象にはなじまないとしたうえで以下のように説示しました。
「特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から、あるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的評価するということは原則的には許されない」(最判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁)。
そうすると国会の立法不作為について国家賠償を求める訴訟は、まったく認められないことになりそうです。ところが、さらに以下のような説示もしました。
「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行なうというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」(最判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁)
…「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行なうというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合」?想定している例自体が、かなり意味不明です。
結局、立法不作為による国家賠償が認められる余地があるのか、実はまったく存在しないのかはっきりしません。判決文を素直に読めば、国家賠償が認められる余地があることになりそうです。しかしそれは極めて限定的な場合にしか認められないという趣旨のようです。
そこで最高裁昭和60年判決について、つぎのように理解する考え方もありました。
すなわち最高裁昭和60年判決にいう例外的場合とは、その制限的な文言にかかわらず、①憲法上保障されている権利についてこれを侵害する内容であることが明らかな立法を行なう場合、②憲法上保障されている権利の行使を確保するために立法を行なうことが必要不可欠であり、それが可能であるのにこれをしない場合をさすものと解することが可能だという理解です。
このような理解を前提にしたとされているのが、つぎに挙げる最高裁平成17年9月14日大法廷判決です。この判決も、在外国民の投票に関する事案に対するものです。
「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を保障するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は立法不作為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けるものというべきである。昭和60年判決は、以上と異なる趣旨をいうものではない。」(最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁)
国会の立法不作為が国家賠償請求の対象になる違法な例外的場合を例示し、最後に昭和60年判決と異なる趣旨ではないとしています。
この点、最高裁判所調査官解説によれば、
「本判決は、以上のとおり、昭和60年判決を維持しつつも、その射程を実質的に限定し、国会の立法又は立法不作為について国家賠償責任を肯定する余地を拡大したものであり、この点についてもその意義は極めて大きいものである。」(杉原則彦「判批」『最高裁判所判例解説民事篇 平成十七年度(下)』(法曹会、2008年)658頁)
としています。つまり最大判平成17年判決は最判昭和60年判決を拡大解釈することによって、立法不作為による国家賠償請求を肯定する可能性を広げたというワケです。
以上をふまえて、上記再婚禁止期間違憲判決を再度みてください。特に判決文2が重要です。この説示は、以下のように整理することができそうです。
①国会の立法不作為が違法になるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題である(判決文1)。
そして、以下の②③の双方の事情がある等の場合に、①の義務違反があったといえる。
②法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であること(判決文2)。
③②の状況にあるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠っていること(判決文2)。
再婚禁止期間違憲判決は、民法733条が違憲であることを前提に国会の立法不作為が違法かどうかを判断する枠組として、このような定式を立てました。もっとも、違法と評価される場合は上記の場合に限られないようです。このことは、判決文2の「国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、…」からも窺うことができます。
民法750条における国会の立法不作為に関する岡部意見は、おそらく上記最高裁判決を前提に説示したものと考えられます。他方、山浦善樹裁判官は多数意見に対して、以下のような意見を付しています。
「少なくとも、法制審議会が法務大臣に「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申した平成8年以降相当期間を経過した時点においては、本件規定が憲法の規定に違反することが国会にとっても明白になっていたといえる。また、平成8年には既に改正案が示されていたにもかかわらず、現在に至るまで、選択的夫婦別氏制等を採用するなどの改廃の措置はとられていない。したがって、本件立法不作為は、現時点においては、憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたものとして、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものである。」(山浦善樹裁判官の反対意見)
山浦裁判官は、民法750条が憲法24条に反して違憲という点で岡部意見と同じです。しかし、国会の立法不作為について、憲法上の国民の権利・利益を合理的な理由なく制約し違憲が明白であるのに、国会は正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠ったとしました。立法不作為の違法評価について、岡部意見と異なる結論になっています。
では、岡部意見と山浦意見とで異なる結論になったのは、なぜでしょうか?岡部意見も山浦意見も国家賠償法の違法評価に関し、一般的な判断枠組はとくに説示していません。おそらく双方とも、上記再婚禁止期間違憲判決で説示された判断枠組を前提にしているものと考えられます。
そうすると岡部意見と山浦意見とでは、重視した事情が異なるということになりそうです。この点に注意して双方の意見を比較すると、つぎのようにいえそうです。
まず岡部意見は、これまでに裁判所が民法750条を憲法24条に反するという判断をしていなかった点を重視しています。
他方で山浦意見は民法750条の改廃をめぐるこれまでの議論状況等を重視し、裁判所が違憲判断をしたことがあるかどうかは考慮にいれていません。山浦裁判官は、岡部裁判官が重視した事情があればもちろん裁判所が違憲と判断したという事情が無くても、国会の立法不作為を国家賠償法上の違法と評価できると考えたようです。
山浦意見のような違法評価は、岡部意見よりも実質的な評価になるともいえそうです。しかし、このような判断をすることになると、裁判官の価値判断に依存しすぎるおそれが生じます。
司法判断の存在以外にも、違憲が明白といえる場合はあると思います。しかしながら、民法750条に関していえば、違憲が明白であるといえる事情は見当りません。
したがって、山浦意見のように原告の国家賠償請求を認めることは困難です。
以上の検討から、民法750条の憲法適合性について最高裁判所は、岡部意見と同様に違憲と説示すべきだったと考えます。
夫婦同氏原則について(8・完)
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