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ベストセラーのDNA

  ワタシの職業は、文章との格闘です。文章を読みまくって、書きまくる。  書籍、雑誌、新聞、 HP 、ブログなどの論文、報告、記事を手あたり次第集めて読みます。そしてそれらを資料として、自分の視点から分析・検討して書きまくる。研究論文として、研究報告として、講義録として、ブログの記事として…。  しかし読んでいて、書いていて、思うのは、「法律学の文章って単調だな」ということ。  研究を職業にしている人はまだしも、サラリーマンや大学生といった人たちが読むのは、かなりツライ。必要に迫られて、仕方なく読むという人が大半かもしれません。  このブログも、色々と工夫しているつもりです。 「では、どうしたら、もっと読んでもらえるブログ、もっと良い記事になるのかな?」  いつもいつも、自問しています。ワタシ自身「もうひとつ、パンチが欲しいナ。」と思っていました。 そんなある日、本屋を散策中にふと見かけた本。   ジュディ・アーチャー=マシュー・ジョッカーズ著『ベストセラーコード―売れる文章を見極める驚異のアルゴリズム』(日経 BP 社、 2017 年) 「…。ベストセラーの法則?そんなのあったら、誰でもベストセラー作家じゃん。」  と思いつつ、手に取って軽く流し読み。  本書は、ベストセラー 500 冊とそうでない 4500 冊の本をコンピューターに読み込ませ、テキストマイニングを用いて「ベストセラーの DNA 」を発見しよう、という論文(?)  どのような本が、ベストセラーになるか?これまでは、結局、「売ってみなきゃワカラナイ」とか作家の資質によるなど、どちらかというと直感的・経験則的に説明されてきました。    本書は、それを統計学的に解明しようというワケです。今まで、なんとなく「こういうモノだ」とされてきた事柄に焦点をあて、科学的に検証してはっきりさせようという「チャレンジ」です。 ワタシは、文学や出版とはほぼ無関係な人間です。 しかしそのチャレンジは、汚れちまったワタシの研究者マインドにも突き刺さる。こういう論文大好き。それが、たとえしょーもないテーマでも。「チャレンジ」や「遊びゴコロ」のある研究・論文って、心の奥に刺さりますよね。 後日、某

夫婦同氏原則について(8)完

前回、最高裁判所は岡部意見に基づいて民法 750 条を違憲であると説示したうえで、国家賠償請求については立法不作為に違法性が認められないことを理由に棄却すべきだったと述べました。 ただ、このように考える場合には、つぎの指摘に留意する必要があります。 「夫婦同氏原則を定める民法 750 条については、違憲無効の判断によって、選択的夫婦別姓が実現されるわけではない。単純に無効とすれば、夫婦同氏の根拠はなくなり、すべてが夫婦別姓ということになる(夫婦同氏が強制されるのと逆の状況になる)。また、民法 790 条 1 項によって『父母の氏』を称するとされる子の氏の扱いも問題となるだろう。仮に違憲状態だという判断をするとしても、それを受け止める制度については、立法的な解決が必要なのである。その点で、あるべき制度設計としての議論と民法 750 条が違憲かという議論とは区別せざるをえないように思われる。」(窪田充見『家族法〔第 3 版〕』(有斐閣、 2017 年) 53 ‐ 54 頁) この指摘は、多数意見に理解を示すものといえるかもしれません。違憲判決を出した結果、どのような状況になるかを考慮すれば合憲判決もやむを得ないということです。 そして上記指摘が、「民法 750 条の不都合を解消するには立法的解決に委ねる以外にない」という趣旨なのであるとすれば、さきの寺田意見に近い考え方ともいえるでしょう。 もっとも、この指摘は「単純に無効とすれば、夫婦同氏の根拠はなくなり、すべてが夫婦別姓ということになる(夫婦同氏が強制されるのと逆の状況になる)。」としている点に、疑問があります。 たしかに現行の民法 750 条が違憲無効になれば、夫婦同氏の根拠はなくなります。しかし、ここでなくなるのは、夫婦同氏を「強制する」根拠だと考えます。  その結果、原則、夫婦別氏になりますが、その場合でも別氏を強制する根拠はありません。別氏以外の例外を認めない旨の規定が存在しないからです。  そうだとすれば、民法 750 条が違憲無効とされたとしても、「同氏」を選択する余地は残されているといえる筈です。 実際、その道を開くかもしれない規定があります。戸籍法 107 条をみてください。 【戸籍法 107 条】 第 1 項 やむを得ない事

夫婦同氏原則について(7)

2)憲法違反だが立法不作為に違法性はない?―岡部意見の分析・検討② つぎに、 国会は長期にわたって改廃等の立法措置を怠ったとまではいえないとする点について。 これは、国家賠償法 1 条 1 項の適用に関するものです。すなわち、民法 750 条に関する国会の立法不作為は国家賠償法 1 条 1 項にいう「違法」と評価されるか?という問題です。 この点、岡部意見はこれまで裁判所において民法 750 条が違憲であると判断されてこなかった状況に注目したようです。そして、このような状況下では同条が憲法 24 条に反することが明白だったとはいえないといいます。したがって国会が長期にわたって改廃等の立法措置を怠ったとまではいえず、国会の立法不作為は違法と評価できないとしました。 ここで、国家賠償法 1 条 1 項を確認してみましょう。 【国家賠償法 1 条 1 項】 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。 「違法に」という要件があることがわかります。つまり岡部意見は原告の国家賠償請求について、この違法性の要件をみたしていないと考えたワケです。なお、多数意見は民法 750 条が合憲であるとしているため、国会の立法不作為については説示していません。 ここで問題となるのは、国会の立法不作為が国家賠償法 1 条 1 項にいう「違法」と評価されるのはどのような場合か?という点です。 この点、国会の立法不作為がどのような場合に国家賠償法上の違法評価を受けるかについて、参考にすべき最高裁判決があります。 最高裁は本判決と同じ日に、民法 733 条の合憲性についても判断していました。全く同じ裁判官達による判決ですから、その判断基準や理論構成には整合性がある筈です。 1.「国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ、国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動

夫婦同氏原則について(6)

2)憲法違反だが立法不作為に違法性はない?―岡部意見の分析・検討① では、最高裁判所は、どのような判決をすべきだったのでしょうか?どのような判決をすれば、国会ひいては国民に対して力強いメッセージを発信することができたのでしょうか? ここでは、岡部喜代子裁判官の意見に注目してみたいと思います。 岡部喜代子裁判官は、多数意見の結論に賛同しています。しかし民法 750 条が憲法に違反しないとする説示には同調できないとして、以下のような意見を付しています。 1.「本件規定は、夫婦が家から独立し各自が独立した法主体として協議してどちらの氏を称するかを決定するという形式的平等を規定した点に意義があり、昭和 22 年に制定された当時としては合理性のある規定であった。したがって、本件規定は、制定当時においては憲法 24 条に適合するものであったといえる。」 2.「ところが、本件規定の制定後に長期間が経過し、近年女性の社会進出は著しく進んでいる。婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく、婚姻後に稼働する女性も増加した。その職業も夫の助けを行う家内的な仕事にとどまらず、個人、会社、機関その他との間で独立した法主体として契約等をして稼働する、あるいは事業主体として経済活動を行うなど、社会と広く接触する活動に携わる機会も増加してきた。そうすると、婚姻前の氏から婚姻後の氏に変更することによって、当該個人が同一人であるという個人の識別、特定に困難を引き起こす事態が生じてきたのである。」 3.「そして、現実に 96 %を超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしているところからすると、近時大きなものとなってきた上記の個人識別機能に対する支障、自己喪失感などの負担は、ほぼ妻について生じているといえる。夫の氏を称することは夫婦となろうとする者双方の協議によるものであるが、 96 %もの多数が夫の氏を称することは、女性の社会的経済的な立場の弱さ、家庭生活における立場の弱さ、種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらすところであるといえるのであって、夫の氏を称することが妻の意思に基づくものであるとしても、その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのである。そうすると、その点の配慮をしないまま夫婦同氏に例外を設けないことは、多くの場合妻となった者のみが

夫婦同氏原則について(5)

4 選択的夫婦別氏制は否定されたのか?   1)フォーラムとしての最高裁? これまで夫婦同氏原則の合憲性および選択的夫婦別氏制導入の是非について、つぎのように解説する憲法の教科書もありました。 「また夫婦同姓の原則も、たしかにそれが多くの場合、事実として夫の姓をとることに傾くことは否定できないが、夫婦協議が認められている以上、違憲の制度とまではいえないであろう。しかし、女性の社会進出が目覚ましい今日、夫婦別姓制が望ましいとの意見も次第に有力になっており、それには十分理由があると思われるから、立法政策的には大いに考慮されてよい問題である。」(野中ほか『憲法Ⅰ(第 5 版)』(有斐閣、 2012 年) 303 頁) 最高裁判所も「選択的夫婦別氏制」の合理性を否定したわけではありませんから、上記学説と同様の立場に立ったという理解も可能です。選択的夫婦別氏制の合理性について、最高裁平成 27 年 12 月 16 日大法廷判決は以下のように説示しています。 12 .「夫婦同氏制を規制と捉えた上、これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば、夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ、上記 (1) の判断は、そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。」「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである。」(最大判平成 27 年 12 月 16 日民集 69 巻 8 号 2586 頁〔多数意見〕) さきにみた木内裁判官の意見は、「同氏に例外を許さないことに合理性はない」と説示していました。この点について判決文 12 では、「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」だとしています。 では、選択的夫婦別氏制の合理性を否定していないのに、このような制度を導入することの是非について最高裁判所が積極的に判断しないのは、どのような理由からでしょうか? この点、寺田逸郎裁判官は補足意見において以下のように説示しています。 「本件で上告人らが主張するのは、氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり、いわば法律関係

夫婦同氏原則について(4)

3 最高裁平成 27 年 12 月 16 日大法廷判決の問題点 (1)「家族の呼称」としての「氏」(名字)について 本判決は、民法 750 条の定める夫婦同氏原則が憲法 13 条および 24 条に反しないと結論付けるうえで、「氏」(名字)の意義を手がかりに理論構成をしました。「氏」(名字)に 「家族の呼称」としての意義があるとしていました。 しかし、裁判は人類学や社会学の論争の場ではありません。さらに A さんと B さんが夫婦であるかどうかは、社会的にも法的にも同氏であるかどうかによって決まるものではない筈です。少なくとも法的には、当事者間に「婚姻の合意」が存在するか、法律婚ならば婚姻届出をしたかが基準になる筈です。 親子関係も同じです。年齢が離れた A さんと B さんが同氏であるからといって、親子だとはいえません。親子関係が存在するかどうかは民法 772 条等の要件を備えているか、養子縁組なら親子関係を設定しようとする意思、養子縁組届出をしたかどうかによります。 したがって、「氏」(名字)が「個人の属する集団を想起させるもの」という最高裁判所の説示は、たんなる思い込みではないでしょうか? 最大判平成 27 年 12 月 16 日には、 5 名の裁判による少数意見が付されています。このうち木内道祥裁判官は、判決が説示している「氏」(名字)の意義について、つぎのように述べています。 「対外的な公示・識別とは、二人が同氏であることにより夫婦であることを社会的に示すこと、夫婦間に未成熟子が生まれた場合、夫婦と未成熟子が同氏であることにより、夫婦親子であることを社会的に示すことである。このような同氏の機能は存在するし、それは不合理というべきものではない。しかし、同氏であることは夫婦の証明にはならないし親子の証明にもならない。夫婦であること、親子であることを示すといっても、第三者がそうではないか、そうかもしれないと受け止める程度にすぎない。」(木内道祥裁判官の意見) (2)夫婦・親子の一体感および家族集団への帰属意識について この点、夫婦・親子の一体感や家族集団への帰属意識が強まるといった主張もみられます。最高裁判所もこの点に言及していました。 しかし、これらはべつに夫婦同氏の強制によって確