昨年、祖母が他界し、7日毎の法要をとりおこなっていたときのこと。
7日毎の法要?と思う人もいるかもしれませんね。
祖母が暮らしていた所は田舎なので、こういうプチセレモニーがマメにおこなわれるんです。お寺のお坊さんにお経をあげてもらい、その後、ご法話を拝聴しておしまい、という流れです。
今回は、そのご法話について。
ブッダが、ある日、農夫から次のような指摘を受けました。
「私は、畑を耕し、そこに種を蒔き、収穫して生活している。それに比べ、あなたは一体何をしているのか?」
…この農夫の気持ち、よくわかります。ブッダが率いていた教団の人々は、寄進された場所で「修行」していました。しかし、はたから見れば彼らがやっていることと言えば、一日中、座り込んでいるか、ぶらぶらしているか、ごろごろしているだけ。お腹がすいたら「托鉢」といって、近くの民家等から食べ物を分けてもらい生活しているようなカンジです。
たとえば、みなさんの家の近くの公園に、そのような一団がいたらどうですか?やっぱり、「あんたら、一体何してんの?」と思う筈です。当然のツッコミでしょう。
このツッコミに対してブッダは、
「私は、こころの畑を耕しているのです。」
…!Σ( ̄□ ̄;)う、ウマイ!これが「笑点」なら、座布団3枚はカタイ!まさに、絶妙なカエシです。いや、しかし誰がウマイこと言えと…。
ブッダが言えば、「働くのもいいけど、こころを見つめ直すことも必要です。」と解釈できそうです。
でもね、9割りがたニートな人が、それを言ってもグーパン飛んで来そうですねぇ。
ってな思考が、ぐーる、ぐーる(◎-◎;)
その後のお話しは全然頭に入って来ませんでした。
せっかくの良いお話が、台無し…。
ワタシの場合、まず、こころの畑にはびこる雑草をむしる必要がありそうです。